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約17年を経て三豊市へUターンしたきっかけは?今川亜由美さん(前編)

香川県三豊市でのさまざまな生き方を紹介する本企画。今回ご紹介するのは、三豊市でカフェなどの経営に携わる今川亜由美さん。

前編では、「何もない町」と感じて飛び出した三豊に、長い時を経てUターンした過程を伺います。

※本記事は2021年11月29日に旧・週刊みとよ ほんまモンRadio!(Seesaaブログ)で紹介した記事を再編集したものです。

「戻りたい街ランキング」全国3位となった三豊市

「全国戻りたい街ランキング2021」で、全国の都市の中で第3位に選ばれた香川県三豊市。

『交通の便利さ』は0点と利便性の悪さはあるものの、『街並みや雰囲気』、『安全』、『愛着』が100点と、『三豊市が好きだから戻りたい』と思っている人が多いことがわかる嬉しい結果となりました。

こうした中、今回お話を伺ったのは、約17年を経て三豊市にUターンした今川亜由美さんです。

今川亜由美さんの略歴

三豊市仁尾町で、スーパーを営む家に生まれる。高校を卒業するタイミングで、関西圏の大学に進学。卒業後は、高松や中国地方を拠点に就職。2015年、17年近く離れていた三豊市へ戻ることを決める。

現在は三豊市仁尾町を拠点として、父母ヶ浜にある「KAKIGORI CAFÉ ひむろ」「百歳書店」の代表として働く。

父母ヶ浜の夕景の写真

高校で広がった世界観

ー「父母ヶ浜」がインスタ映えスポットとして注目を浴びだしたのが2017年。その一方で、亜由美さんが三豊に戻ると決めたのは2015年ですね。

亜由美さん:父母ヶ浜は、私が子どもの頃は、地元の人たちの海水浴場として、年間1万人くらいの人が来る程度でした。

2015年に戻った時点でも、まだ、たくさんの人が来るような場所ではなかったですね。

それが変わったのは、この数年です。「KAKIGORI CAFE ひむろ」は父母が浜に多くの方に来てほしいと始まったお店ですが、願いが叶って奇跡のように感じています。

ー本当にこの数年で、仁尾町の雰囲気も大きく変わりましたよね!子どもの頃、仁尾町での生活はどんな感じでしたか?

亜由美さん:海と山に囲まれて自然は多いですが、何もないところだと思っていました。

高校で隣市に進学しましたが、この時にすごく世界が広がりました!生まれ育った環境から少し飛び出して、新しい友人がたくさんできましたし、いろんな価値観にふれることのできた3年間でした。

さらに、大学は県外に行ってみたいと思い関西に進学しました。

何にもないと思っていた仁尾町の海岸線

ー大学進学で県外へ、どんどん世界が広がりましたね!

亜由美さん:大学時代はのびのびと過ごしましたね~。ボランティアクラブで活動したり、海外旅行にも行くようになったりと、すべてが初めての経験で学ぶことが多かったです。

大学卒業後は、ファッションに興味があったので、アパレル業界に就職。実家には帰らず岡山や高松の店舗を拠点に、経験を重ねていきました。経験を重ねる中で、人材は人財であると学び、コーチングの勉強もしました。

Uターンのきっかけは「10年後の自分が想像できない」こと

ー生き生きと働いている様子が、目に浮かびます!それでも、三豊へ戻られることにしたのですね?

亜由美さん:30代になり、「働く」ということが好きだなと実感しつつも、販売をしている10年後の自分が想像できないなと感じていました。

将来を考える上で、どこにいても一生懸命「働く」のであれば、実家の仕事を手伝い、家族のために働くということが、とても自然な流れに感じられて、17年ぶりに三豊へ、生まれ育った仁尾町へ帰ることを決めました。

17年ぶりに戻ることに決めた仁尾町、父母ヶ浜を見下ろすポイントから

ー2015年、三豊に戻ってまず取り組んだのは、実家のお仕事だったのでしょうか?

亜由美さん:2015年に三豊に戻り、家業のスーパーで経理と担当することになりました。

ちょうどその年に、いくつか始めた事業の内の一つが「KAKIGORI CAFÉひむろ」です。立ち上げ後、私が中心となり引き継ぐことになりました。

KAKIGORI CAFÉひむろの入り口

「KAKIGORI CAFÉひむろ」を通じて、父母ヶ浜への関わりが始まっていったという亜由美さん。三豊市で活動は、後編で伺います。

後編はこちら。
https://mitoyo-city.note.jp/n/nd14c1b5de3f0

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