日本からケニア、ケニアから香川・三豊市へ。次に開く扉は?森さくらさん(後編)
食と旅をテーマにフリーで活動されている森さくらさん。前編では、「週刊みとよほんまモンRadio」のブロガー時代のことや、現在のお仕事について伺いました。後編は、三豊に移住してくるまでの物語とこれからの夢を伺っていきます。
アフリカから三豊へ
★さくらさんといえば、20代の頃にケニアのサファリ会社にいたユニークな方という印象を持っている方も多いのではないでしょうか。
1997年から10年間、ケニアのサファリ会社で働いていました。首都ナイロビに住んでいましたが、当時は人口300万人くらいで、雰囲気は高松より少し都会という感じでした。でも、貧富の差が激しく、車で少し走るとスラム街があったりして、経済問題についても考えさせられました。
ケニアとの出会いは短大の卒業旅行です。旅行後に旅行会社からのレターに「ナイロビで働く人募集」という小さな求人広告が載っていたのを見つけて、「これは私のための求人だ」と直感しちゃったんですね・・・(笑)
★小さなお知らせが人生を変えたんですね。サファリ会社ではどんなことをされていましたか。
ツアーの手配やガイドを担当していました。ナイロビって都市部から車で30分ほども走ると、草食系の野生動物が見られます。さらに国立公園まで行けば、360度周りには何もない世界で野生のライオンや象、キリンが暮らす世界が広がっている、そんな環境だったこともありサファリツアーが人気でした。
仕事で使う言葉は英語だったため、英会話学校に通いながら働きました。最初はたどたどしかった英語も半年くらいでなんとかできるようになり、切羽詰まれば頑張れるものだなと我ながら驚きました。
★職場の様子は、どんな雰囲気でしたか。
会社のメンバーは日本人とケニア人だったのですが、ケニア人の同僚との価値観の違いに驚くことも多かったです。よく言われるのは、時間の感覚の違い!19時から飲み会が予定されるとしたら・・・、19時に来ているのは一人二人。全員集まるのは21時頃かな~という感覚です(笑)。
仕事に対する姿勢も違いましたね。日本人の場合、仕事の締切の日時は守らなければならないと多くの人が考えていませんか?でも、ケニアの方の多くが、「残業してまでしなくてもいいじゃない?」という発想でした。ですので、私は締切のことをはじめとして「日本人のお客様に対してはこうやってサービスに関わってほしい」ということを一生懸命説明するのですが、価値観の違いから時には喧嘩になったこともありました。若さゆえに頑張れたんだと思います。
一方、ケニアの人達と接する中で、私がそれまで当たり前と思っていた価値観が何度も崩れていきました。ケニア流の考え方に「それもいいのかな」って思わされることもたくさんあり、多様な価値観を受け入れる気持ちもアフリカで育ったように思います。
★ケニアで三豊出身のご主人と出会って現地で結婚されたんですよね。日本に帰国しようと思われたのはどうしてですか。
2004年に長男が生まれたことが大きかったです。子どもの教育や育っていく環境を考えた時に、自分が育った日本の方がイメージしやすいと思いました。そして、ケニアでは普通に家政婦さんがいてくれる環境だったので、主婦っぽい家事仕事をしなくても家は保てるのですが、子どもには家の仕事もやってる母の姿を見せておきたいと思ったこともあります。ケニアでのキャリアも10年になろうとしていて、「もう十分にやれたかな」という思いもありました。
三豊市に来たのが2007年です。新生活のドキドキもありながら「友達もいない。仕事もない。私、何もない」と、なかなかなじめずに辛い思いを感じるスタートでした。何をしたらいいのかわからなくて、料理教室に通ったりして少しでも楽しくなるようにあがいていました。
三豊の良さと新たな挑戦
★そんなさくらさんと三豊の関わりが始まったのは、三豊観光大使になられてからでしたね。
2010年春に三豊観光大使になりました。浦島太郎の伝説があるこの土地で、乙姫様の衣装を着たりして(笑)。おかげで仕事や人との出会いが増えたので、世界が広がって、三豊暮らしが楽しくなっていきました。
翌年の2011年秋、このブログが始まる時に「ラジオとブログの仕事をやってみませんか?」とお声かけいただいたんです。
★10年間のブロガーとしてのお話は前編にご紹介させていただきました。三豊に真正面から向き合って来られて、三豊のどんなところが好きですか?
一番は、人との出会いで感じた、チャレンジ精神旺盛で元気な人たちとの出会いですね!本当に個人の熱い思いを秘めたユニークであったかい人が多くて、取材と称していろんなお話を根掘り葉掘り聞かせていただけたことは、すごく楽しかったです!
なので、そんな人の魅力を、一番に伝えたいし、感じてほしいな~と、いつも思ってます。
そして、豊かな自然の広がる風景とその移ろいでしょうか。たとえば、車で移動する時間が長いのですが、田んぼで苗が植えられ育ち刈り取られていくまでの時の流れを見るのも好きです。三豊の花や山や空や海…その全部がいいと思います。季節の移ろいを眺めるだけで、毎日がきちんとリセットされるように感じます。
あ~辛いな~とか思うようなことがあっても、気分転換にちょっと外にでかけて三豊の風景を見ると「この地域に好きなものがいっぱいあるよな・・・」とすーっと思い直せます。この地に縁があったこと、そしてたくさんの人のご縁に助けられていること、有難いなと感じている日々です。
★最近、三豊は盛り上がっていると言われることが多いと思いますが、なぜ、外部の人からも面白そうな場所に見えるのでしょうか。
私が住み始めた15年前と比べても、本当に「三豊は楽しそう」ってよく言われます。私が思うのは、地域のことを思って活動している人たちみんなが仲良くて、誰かの成功を喜び合っていることはとても大きいと思っています。みんなそれぞれが仲間の「プラスになること」を意識しているんです。みんなが頑張ることで、点がつながって線になり、そして今、線がつながりあって面になってきた、そんな感じがしています。
★最後に、これからの夢を聞かせてください。
「三豊のおもてなしを考える」という働き方は続いていくと思いますが、もう少し、人の成長とか生き方に踏み込んだことも学んで関わっていきたいなと思うようになりました。言葉にすると、教育分野や福祉分野など、生きるときに欠かせない、またはあったらより豊かになることを、「三豊のおもてなし」とつながるように学びながら形にしていけたらいいなと考えるようになりました。
想いの真ん中には、ちょっと規模が大きく聞こえるかもしれないけど、地球規模の視点で、三豊と世界を見ていきたいという願いですね。地球目線で色々なことを考えてみたら、気持ちがぶれなくなりましたし、迷ったら「地球に何を残して行けばいいかな」って考えてみるようにしています。
教育については、もう仲間たちが動き出していて、三豊に市民大学(*)を作る話し合いに参加しています。これまで三豊では学ぶことができなかったようなユニークなクラスを中心に、幅広くい世代にとって、人と人、そして人と体験をつながるような場所に関われたら嬉しいなと思っています。
(*)三豊市で、地元企業が中心となり解説される「瀬戸内・暮らしの大学」
私は、同時にいくつかの仕事のチームに関わって働いているのですが、こういう働き方は最近だと「パラレルワーカー」という言葉でくくられるのでしょうか? 自分で「こうしたい」と思って実現したわけではないのですが、自分の納得できる生き方・働き方を考えていたら、こうなったという感じです。今も、ゴールにたどり着いたとは全然思ってなくて、常に「私の働き方はいつも実験中」だと思っています。「実験中」なのですから、これからもたくさんチャレンジして、新たな道を選んでいけるように、日々の準備を大切にしていきたいですね。
森さくらさんのブログ卒業にあたって、お仕事や夢についてご紹介しました。常にチャレンジを続けてこられてきたさくらさん。いままでのお話を伺ってこれからの活動がますます楽しみになりました。「週刊みとよほんまモンRadio!」でもそのご活躍をフォローしていきたいと思います。さくらさん、これまで長い間ありがとうございました。