歴史は100年以上!宮大工も育成する三豊市の建設会社、菅組(前編)
香川県三豊市での働き方を紹介する本企画。今回ご紹介するのは、100年以上の歴史を持ち、宮大工の育成などユニークな活動に積極的に取り組む建設会社、株式会社菅組(すがぐみ)です!
※本記事は2021年2月27日に旧・週刊みとよ ほんまモンRadio!(Seesaaブログ)で紹介した記事を再編集したものです。現在の情報は、公式HPを参照ください。
創業100年以上!多彩な建物に取り組む菅組
三豊市仁尾町、父母ケ浜から続く海岸沿いの道に、たくさんの木に囲まれているところがあります。この奥に、株式会社菅組(以下、菅組)の本社があります。
今回は、代表取締役社長の菅徹夫さんにお話を伺いました。
※
―三豊市にある建築業の中でも、菅組のように古い歴史のある会社はなかなかないと思います。会社の歴史を教えてください。
菅:菅組の創業としているのが、明治42年(1909年)です。宮大工の棟梁に大工職鑑札の交付を受けていた資料が残っていることから、この年としています。
でも、この棟梁よりも2代前くらいから、宮大工をやっていたということもわかっていますので、家業としては、江戸の末期頃から建築業に関わっていたのだと思います。
株式会社となったのは、昭和37年(1962年)です。社寺建築、鉄骨造、鉄筋コンクリート造、木造と、会社で扱う建物の幅広くなりました。
そして、平成元年(1989年)にこちらの本社ビルを建設しました。本社の敷地内には、2009年創立100年の記念事業としてふるさとの樹木を植樹し、今は大きく育っています。
―なるほど! 県道21号線を通りながらも、この森の後ろに会社があるとは気が付かないほど、自然と一体化されていたんですね。
建設に関わった建物は「作品」
ー県内全域に、たくさんの建物を手がけられていらっしゃいますね!香川県内に住む人なら、日常の中で利用したり、立ち寄ったりしている場所がたくさんありそうです。
菅組のHPでは、建物を「作品」として紹介されていますね?
菅:菅組では、関わった建物を、「作品」ととらえています。
最近の建築業は、設計、施工、そして技能者(大工)を、別会社が行う場合も増えてきています。
そんな中で、弊社としては、設計施工、一貫施工システム体制といった形で、社内に、設計部門、技術部門が一緒に入っていることが、強みだと思っています。
現在、全社員約150名程度、その中で、設計部門に15名の社員がいます。設計から施行まで一貫して請け負わせていただくことで、建てた建築物が、一つの「作品」となると言いますか、それぞれ思い入れが深くなるところはあります。
―大工の育成にも、力を入れていらっしゃいますよね?
菅:最近、我々のようなゼネコンスタイルの会社で大工を直接雇用しているところは少なくなっているようです。自社で大工を雇用しているのは、弊社の特徴の一つでもあります。
―大工になりたいという希望で入社される方もいるんですか?
菅:香川県内の建築学科のある高校から、採用することがあります。高校側からも、大工の希望がありますがどうかと、問い合わせが来ることもあります。
―大工の育成として、特に気を付けていることはありますか?
菅:大工は、職人ですので、言語化し、そしてマニュアル化することが大変難しい業種でもあります。今でも、親方の仕事を見て覚えていくという昔ながらの育成方法が主体ですね。
宮大工も育成
―「竣工作品」の中に、神社仏閣も多くありましたが、菅組では「宮大工」も雇用されているとお聞きしています。宮大工と普通の大工では、求められるものは違うのでしょうか?
菅:宮大工は、今でも、木材に墨付けをしたり、現場で木材を加工することを求められたり、数値化、マニュアル化できない仕事がたくさんあります。そして、社寺建築でよくみられる細工の彫り物などもすべて手作業で彫れる技術が必要ですし、さらに、芸術的なセンスも求められてくるところが大きく違ってきます。
大工として一人前になるには10年、宮大工となるとそれ以上かかると言われています。
今、日本の社会では、誰がやっても同じような品質にしていくという流れが主流ですが、宮大工の技術は、その対極にあって、経験を重ねながら伝えていくしかない部分が多くあります。宮大工を育成していくことには、社寺建築のような日本の伝統技術を継承していくという使命も感じています。
―菅組の中で大工技術を学び、そして建築として作る場所があり続けることは、素晴らしい環境ですね。宮大工さんが手掛けた神社仏閣を見に行きたくなりました!
宮大工の作品
以下、菅組が手掛けた寺社仏閣の作品として、三豊市仁尾町の大将軍神社、善通寺市の曼荼羅寺を紹介します。
また、後編では菅組の環境やSDGsの取り組みを紹介します。お楽しみに!