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三豊におしゃれなチョコレートのお店ができるまで 齊賀信子さん(前編)

2021年4月、三豊市詫間町にオープンしたBean to Bar専門店「RACATI」

おしゃれな外観と店内、そして丁寧に作られたチョコレートの美味しさはすぐに広まり、あっという間に話題のお店となったチョコレート専門店の責任者、兼、クラフトマンの齊賀伸子さん(以下、伸子さん)に、現在のお仕事と三豊での暮らし方を伺います。

齋賀信子さん

RACATIオープンして初めてのバレンタインデーを前に、お忙しいのではないですか?

(伸子さん)
今はスタッフも増えて、オーダーの数も早めに調整できるようになってきたので、忙しいけれど対応できています。2021年4月のオープン前や、最初のゴールデンウィーク頃の忙しさに比べれば、落ち着いています。

2年くらい前に、チョコレートの勉強を始めたと聞いていていたのですが、そこからこんなオシャレなお店が出現して、びっくりしました!

(伸子さん)
チョコレートについて考え始めてから約2年、思っても見なかった速さで進みましたね。

三豊市仁尾町出身の伸子さんが、こうしてお店の責任者になるまでのお話、いろいろとお聞かせください!
仁尾町の育ちの伸子さん、どんなお子さんだったのですか?

(伸子さん)
今思えば、すごい浮いてたと思います(笑)がさがさ落ち着きがなくて、「女あばれはっちゃく」と呼ばれていたほどでした。

それは、なかなかやんちゃの幼少期でしたね・・・!

(伸子さん)
そのまま、ちょっと不良っぽい道にも進みかかったのですが、高校生になった頃に、不良はダサいなと感じたんです。そこから、急に自分の進路についても考え始めました。元々母親が服飾の仕事をしていていたこともあって、ファッションに興味がわいて、卒業後は服飾の専門学校、しかも東京に行くと決めて、家を出ました。

18歳からの東京生活、どうでしたか?

(伸子さん)
それまで、18年育った仁尾のことなんてすっかり忘れるくらい、すごく楽しかったです!出会った人たちも、街も、すべてが刺激的な毎日でしたね。
そのまま、専門学校での学びを活かして、アパレル系の会社に就職しました。

オシャレな人たちに囲まれて、バリバリ働いていたんですね!

(伸子さん)
まだ景気的にも元気があった時代ですから、勢いがありましたね。20代前半、ビンテージというアメリカから輸入されたファッションが好きで、仕事でも関わっていたんです。
少しして、そのビンテージが注目を浴び始めて・・・、ちょうど時代としてはキムタクとかパフィーのダボっとしたファッションが流行った時がですね。その時に、ただ流行りを追いかけているだけの人たちを見ていたら急に違和感を感じてしまって、もう服飾の仕事は、辞めようと思ってしまいました。

ビンテージファッション♪

大好きなお仕事だったからこそ感じてしまった違和感、その真っすぐな気持ちもわかるような気がします。

(伸子さん)
急にファッションの仕事を辞めてしまったので、どうしようかと思い下北沢の街を歩いていたら、雰囲気のいいカフェに求人募集が出ていたんです。その瞬間飛び込んでました!

早い(笑)

(伸子さん)
タイミングよく、すぐに採用となったのですが、入ったらすぐにケーキ担当の人たちがバタバタと辞めてしまったんです。それで、「ケーキ担当、やってみない?」と声を掛けられました。全くやったことなかったんですけど、なんか飲み込み早そうだからできるよ!という感じで持ち上げられ、そのままケーキ担当となりました。

全く新しい挑戦に飛び込まれたんですね!

(伸子さん)
ケーキを任されるようになり、そこから店長代理になるまで、4年近く、思いっきり飲食店で働きました。

そのまま、飲食店で働くということはなかったんですか?

(伸子さん)
30歳を前に、フランスにチョコレートの勉強に行きたいと思い、2ヵ月ほど、フランスにある製菓学校に通い、チョコレートのデコレーション技術について学びに行きました。
そして、帰ってきた頃、結婚も考えるタイミングと重なり、そこからすぐに出産も続きました。当時の東京では子どもを預けてまで働くのはあまり考えられなくて、結局、3人の男の子を出産し、子育てに専念しながら、30代の10年間はほぼ専業主婦をしていましたね。

やんちゃで元気そうな伸子さんが、じっとしていられたんですか!?

(伸子さん)
当時、手作りのマルシェなども流行っていたので、カフェ時代の経験を活かして、ケーキや焼き菓子を出店したりして、いろいろ忙しくしていました。

香川に帰ることになったきっかけのようなことはあったのですか?

(伸子さん)
2011年の東日本関東大震災が大きかったですね。子どもを抱えながら、もしまたあんな大きな地震が来たらと思うと怖いなと思うようになり、そこから香川に帰ることを少し考え始めました。

そうだったんですね。それで2013年頃、家族で仁尾町の実家に戻ってきたんですね!

(伸子さん)
仁尾を出た時は帰らないつもりでしたが、帰ってきた時にはちょっとほっとした感じはありましたね。
子ども時代の私と変わらず、仁尾に戻ってからもずっとバタバタしています。幸い、雑貨検品の好きな仕事に出会えたので、楽しく働いていたのですが、2018年にちょっとしたことで手の手術をしなければいけなくなり、雑貨の仕事が続けられなくなりました。

その頃、父母ヶ浜も新しく変わっていくタイミングで、飲食の新しいお店を手伝ってくれる人を探していたご縁で、父母ヶ浜の「hand in hand」で働くことになりました。

父母ヶ浜「hand in hand」のインスタグラム

父母ケ浜 (左)hand in hand (右)父母ヶ浜ポート

2019年4月に父母ヶ浜にオープンした「hand in hand」 
伸子さんがこちらの立ち上げ時のスタッフとして、対応してくれたのを覚えています!

(伸子さん)
飲食業に戻ってきたなと感じました!
オーナーが瀬戸内うどんカンパニー株式会社になるのですが、瀬戸内国際芸術祭期間中の「三豊鶴」の運営もしていたんですね。そちらの人が足りないという日には、手伝いに行くこともあって・・・。日中は父母ヶ浜で働き、夜は三豊鶴で働きと、本当にどれだけ仕事するんだ!ってくらい、2019年は働きましたね。

わ!それは大変でしたね。

(伸子さん)
冬を前に、瀬戸内国際芸術祭も終わり、父母ヶ浜へ来る人も少し減ってきたので、これからどうしようかということになり、「三豊鶴」運営メンバーの(株)モクラスの矢野社長に声をかけてもらい働くことになりました。最初は工場で梱包作業を手伝っていたのですが、全く役に立てている実感がなくて・・・

そんなある日、矢野社長と話す機会があって、「チョコレートやってみん?」と言われたんです!
ケーキを作っていた時代もありましたし、興味もあったので、「勉強したことあるんです!やりたいです!」と即答。

そこからチョコレートに関わる日々が始まりました。

続のブログでは、チョコレート作りに向き合い始めてからをお届けします。お楽しみに♪

RACATI (ラカティ)

住所  :三豊市詫間町詫間6781-1
電話  :0875-83-6652
営業時間:午前10時~午後6時
定休日 :火曜、水曜

Instagram はコチラ
BASE RACATI は
コチラ


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