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大阪から三豊市に移住!空き家バンクで家探し 上田崇・恵美さん(前編)

ご夫妻で2015年、大阪より三豊市に移住された上田崇さん、恵美さん。移住から6年目を迎えた2020年の春より、海を見下ろすミカン畑が職場になりました!

まずは前編。大阪から三豊に移住するまでを紹介します。

※「本記事は2020年11月2日に旧・週刊みとよ ほんまモンRadio!(Seesaaブログ)で紹介した情報を転載したものです。

移住のきっかけは恵美さんの交通事故

崇さん

私たちの出会いは、大阪。職場恋愛です。二人とも演劇舞台の制作に関わっていて、裏方の音響をしていました。音響の仕事は、めちゃくちゃ重たい機材を持つし、舞台の演出上、一瞬のタイミングのズレも許されない厳しい一面があって、ものすごいストレスがかかっていました。

結局、僕が体を壊し、音響の仕事はやめることになりました。

元々、古武道も好きで、体を動かすことや身体の仕組みには興味があったので、整体やマッサージのことを学び始め、リラクゼーションサロンに勤めるようになりました。

恵美さん

音響の仕事を辞めた後、環境分析が学べる職業訓練校で水質調査や土壌分析など学んでいたのですが、卒業後まもなく追突事故に巻き込まれました。病院の診断では「特に異常なし」なのですが、どうしても体が動かなくて、寝込む日々が続きました。主人が学んだ整体を活かして自宅で一緒にリハビリに取り組んでくれました。

元々、大阪のせかせかした感じは合わないなと感じていましたし、いつか景色のいいところで自分たちのペースで暮らしたいと話していたことを思い出したのもこの頃です。体が少しずつ動けるようになって、本気で移住先を探そうと主人が動き始めてくれました。

移住の決め手は空き家バンク

崇さん

最初、移住先は、大阪から2時間圏内のところで探していました。でも、その距離感だと、大阪や京都に通えてしまうので、都会暮らしとそんなに変わらなかったんです。一方でちょっと足を伸ばして和歌山や三重の田舎の方へ行ってみると、細い道が1本だけだったりするとんでもない田舎だったりして、これは無理だと・・・。

それで、岡山、四国と探す範囲を広げました。

恵美さん

下見に行く場所は、空き家バンクで目をつけた物件があるところを選んでいました。

当時から、三豊市の空き家バンクのページは、とても見やすかったんです。物件の写真や間取りもわかりやすく、値段も記載されているものが多くて。意外と、基本情報が記載されていない市町村も多かったので、三豊市の情報量はとてもありがたかったです。

実際に見てみたいと思った物件もあり、三豊市へ足を運んでみました。

さらに、そのころ大阪で開催された移住フェアに三豊市の担当の方が来ていて、「行ったことあります」と伝えたところ、「もう1回来てみてください!」と!

住まいの決め手は豊かな自然と近所の方とのご縁

恵美さん

三豊市、良いな!と思ってから、主人は5回くらい、私は動けるようになってきた頃、2回ほど見に来ました。

そこで、今住んでいる家に出会い、即決しました! もう直感です。

築90年と古かったのですが、1年前まで住んでいる方がいたので、すぐに住めそうでした。

三豊市内ならどこでもいいなと思って、最初は山に囲まれた財田町の方面なども見ていましたが、最終的には海に近い荘内半島に決めました。案内してもらった時に、星がくっきり見えて、天の川まで見えたことに感動しました。今でも、夜に浜へ星を見に行くこともあります。

最初は、三豊市の中山間部でも住まいをさがしていました。写真は三豊市財田町

崇さん

私たちが移住してきた5年くらい前、まだこの地区には移住者が少なくて、近所の方は、「どこから来たん?」と気さくに声をかけてくれました。

現在、住んでいる積地区の平均年齢は70代くらい。空き家になっていた家に、私たちが住むようになったことで、灯りが灯ったことが嬉しいと、とても喜んでくれました。

現在の三豊市内の家から近い荘内半島の海

まずは住むところから!

崇さん

移住を決めた家は、すぐに住むことはできたのですが、リノベーションには3年くらいかかりました。

できるところは自分たちでやろうと思っていたのですが、思っていた以上に大変したね。

近所に住む大工さんを「お父さん」と慕わせてもらいかわいがってもらっていますが、リノベーションでもお世話になりました。

難しい部分は大工さんにお任せし、簡単な部分だけは自分たちでできるように大工さんが段取りしてくれました。

リノベーション中は、家に風呂やトイレがない時期があったり、家の中を靴で歩いていたり、いろんな時期を乗り越えました。いろんな苦労があったからこそ、自分たちも一緒に頑張ったという愛着はありますね!

どんな仕事も前向きに! 紹介がつなぐ、仕事へのご縁

恵美さん

移住してから、私もかなり元気になり、この5年間の中でもいろいろな仕事もしました。

日中は家のリノベーションをしたかったので、夜間の冷凍食品工場の清掃に行っていた時期もあります。ほかには、介護事業所や福祉施設のパートにも行きました。

どうやって見つけたか?

実は、あまり探したことがなくて・・・。

ちょうど契約が終わるタイミングで、近所の人から「ここで働ける人探しているんだけど」と紹介されたり、運よく仕事が見つかることが多かったですね。

自然体で、周りの方たちと関わりながら始まった三豊ライフ!

後編では、これから始まる新しい生活とチャレンジについて、ご紹介します。

お楽しみに!!!

↓記事後編はこちら


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