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瀬戸内国際芸術祭(粟島)のアーティスト・佐藤悠さんに聴く~「粟島大絵地図」は、“他者と共に生きていく”ためのアート

香川県三豊市にある粟島では、2010年から、若手アーティストの滞在制作により地域活性化を図る「粟島芸術家村」事業に取り組んできました。

第6回目の瀬戸内国際芸術祭が行われる2022年、粟島に滞在したのは、茨城県を拠点に各地で制作に取り組んできた作家、佐藤悠さん。

粟島大絵地図

佐藤さんは6~9月にかけて、島民やボランティア、島に来た観光客などと一緒に、幅10メートルになる巨大な絵地図「粟島大絵地図」を制作しました。

ここでは、佐藤さんのアートに対する関わりや、作品に込めた思いをお伺いします。

アートを通して、よりよく生きていけるのでは

大学時代の指導教官だった日比野克彦さん(右)と。(2022年6月1日に行われた粟島芸術家村の入村式)

ーアートに関わるようになったきっかけを教えてもらえますか?

佐藤:子どもの時からモノ創りが好きでしたが、本格的に興味を持ったのは高校生の時です。

僕の通っていた高校は進学校でしたが、「みんなが一緒に受験へ向かっていく」雰囲気に、うまくなじめませんでした。

そんな時、美術大学の存在を知り、興味を抱くように。その後、美大予備校に通う中で、「アートと関わることによって、自分がよりよく生きていくことができるのではないか」と感じました。

はじめは映像に興味を持っていたのですが、その後、アイデアそのものを表現にするコンセプチュアル・アートに興味を持つようになりました。

「世の中の視点を変えるスイッチをつくって提示したら、感動を与えられる」ということで、これなら自分にもできるのでは、と思ったのです。

それで、東京藝術大学の先端芸術表現科に進みました。

アートをつくる理由

 (映像:ゴロゴロ莇平2015の様子 ©佐藤悠)

―佐藤さんは、新潟で行われている「大地の芸術祭」にも関わっています。その経緯を教えてください。

佐藤:大学に入学後、いくつかの変遷を経て、インスタレーションなどのアートを手掛けるようになりましたが、そこで突き当たった壁が、「展示会をやって終わり」となってしまうことが多いということです。

他の人なら、展示会でアート作品を販売し、その先につなげるといったやり方もあったかと思いますが、自分には、うまくできませんでした。

「自分はいったい何のためにアートをやるのだろう」

そう悩んでいた時、声を掛けてもらったのが、「大地の芸術祭」を行っている新潟県十日町市にある莇平(あざみひら)集落です。

ここでは2009年、集落にしばらく滞在し、作品を制作。最終的に、直径3mの竹製の球の中に自分が入り、集落の頂上から麓まで転がり下りる「ゴロゴロ莇平」という活動を行いました。

これが終わったとき、地元の人から、「また来年もやるの?」と聞かれたのですが、とっさに「あ、じゃあまた来ます」と答えました。

その時に気づいたのが、「自分を待ってくれている人がいるから、また創ろう」と思えることが、次の作品制作の動機となるということです。

それは、何のためにアートを創るか悩んでいた自分にとって、救いとなりました。

「ゴロゴロ莇平」は今、お祭りのようになり、毎年夏のお盆の時期に行われています。場やそこに生きる人々と関係があることが、自分にとってアートを創り続ける理由になるのだと思いました。

東日本大震災を経て変化したアート観

 (映像:「いちまいばなし」について  ©佐藤悠)

佐藤:そんな時に起きたのが、2011年3月11日の東日本大震災です。この時、関東各地でも停電が発生しました。

自分は、電気を使うインスタレーションも多く創っていましたが、「震災が起きたら、こういう作品もできなくなる」と痛感しました。

今まで当たり前だと思っていた世界が、ある日突然そうではなくなる。そんな事態が自分の人生の中でまたこれからもきっと起こるだろうと思いました。

そうなっても、なんとかなるようなチャンネルを複数持たなければならない。

そんな想いからできた作品の一つが、「いちまいばなし」(※)。「そこに誰かがいたら成立する」、コミュニケーションそのものを表現とするアートにも取り組むようになりました。

※いちまいばなし……一枚の紙に絵を描きながら、参加者全員で即興の物語をつくっていく遊び。

また、併せて意識するようになったのが、「アートについて伝える」ということです。

地域での滞在制作では、地域やボランティアの方々に、一緒に作業してもらう機会が多くあります。

しかし、ではそうやって作られているアートが、例えば「モナ・リザ」みたいな有名な歴史あるアートと、どう関係しているのか。

それは、普段アートに関わっていない人は分かりづらいし、説明する人もいない。これは、とてももったいないと思いました。

そこから、自分なりに美術史を楽しく伝える講座や、美術鑑賞プログラムを2016年ごろから取り組むようになりました。

 これらの活動に共通しているのは、何は無くともそこに人がいれば成立することです。

話すこと、話し合うこと、眼差しを考えることなど、どんな状況でも前向きに創造的であるようにするチャンネルを意識して活動することで、昨今のコロナ禍においても、ネガティブにならずにアートに向き合えたのだと思います。

粟島で感じた、芸術家村への期待の大きさ

粟島芸術家村の入村式

ー今回、粟島に来て、最初に受けた印象を教えてもらえますか?

佐藤:まず驚いたのが、島民の人たちの、粟島芸術家村に対する期待の大きさです。

粟島芸術家村は、コロナの影響で2020、2021年は開催されてませんでした。そんな中、島の人たちと接していて、今年実施できることをどれほど楽しみにしていたのか、強く感じました。

また、粟島には、北前船との関わり、海員学校、海ほたる、島四国88カ所巡りといった文化があります。

印象的だったのは、それらが島外との関わりの中で形つくられていることを、島の人たちも意識している、ということです。

だから、「外の人を育てる」「外に開いていこう」という思いがあって、島に来た若いアーティストも応援してくれる。そんな気風があるのではないか、と思いました。

絵地図は、島民やボランティアが絵を描いている

 ―今回、佐藤さんは粟島の巨大な絵地図をつくりましたね。こうした作品をなぜ制作しようと思ったのか、教えてください。
 
佐藤:僕はこれまで、自ら絵を描くことはあまりなく、絵を作品にしたこともありませんでした。

でも、コロナ禍ではオンラインの活動を続けてきたのですが、そこで得た気づきを現場での共同制作に活かしてみたいという気持ちが生まれました。

そして、それをできるだけストレートな方法で実現させたいと感じたり、美術鑑賞プログラムを続けているうちに絵の可能性を感じたりしたことが、「自分も絵を描いてみたい」という思いに繋がっていきました。

そんな折、粟島でのアーティスト・イン・レジデンスのお話を頂いた。それで、「皆で一緒に絵を描けば面白いのではないか」と思いました。

さらに、粟島に来た後で、「皆の芸術家村に対する想いを追い風にできたら、すごく良いものができるだろう」と思うようになりました。

そんな中で出会ったのが、西山恵司さんの描いた絵路マップ(※)です。これは、粟島の全体像をパノラマで描いたものですが、描かれた方の想いがのっている、魅力的な地図だと思います。

これをベースに、個々の目に映る粟島の姿をひとところによせて、いろんな人と一緒に描いていきたい。そう思いました。

※西山恵司さん(故人)……島の宿泊施設の「ル・ポール粟島」で長いこと支配人を務めた。彼が2008年に制作した絵路マップは、今もル・ポール粟島で販売されている。

他者と共に生きること

親子向けのワークショップの様子

―「粟島大絵地図」は、島民だけでなく、島外のボランティア、それに観光客も一緒に描いてますね。

佐藤:島の人だけでつくると、過去の思い出が強くなりすぎてしまうという危惧がありました。しかし、外から来る粟島の”ビギナー”たちがそれを壊してくれます。

彼らは、島民や粟島を良く知っている人にとって「なんやこれ?」というような表現を、無意識のうちに表すことがあります。

でも、そうした、粟島に馴染みのある人にとって「ドキッ」とするような表現が混ざることで、この作品が、もっと現在や未来へ開かれたものになるのではないか。

「戻るだけでない時間」が連鎖反応的に触発されて描かれるのではないかと思いました。

親子向けのワークショップの様子。実際の粟島の様子を見ながら、イメージを膨らませた

ー多様な人が関わることで、作品のまとまりがなくなったり、メッセージ性が弱くなったりしないでしょうか?

佐藤:今回、僕が目指したのは、「すべてがそこにあることで面白い」と思える仕組みをつくることです。

ひとつの方向にまとめようとすると、「あの人の描いた部分は良くて、この人の描いた部分は悪い」といった良し悪しが生まれます。

でも、そうすると作品はつまらなくなるし、つくる僕も、しんどくなる。
 
誰も彼もが関わることで、表現の評価軸が一つではなくなり、個々の表現の評価自体が機能しなくなる。

そうすると、もう描くこと自体が尊いというか、誰かが筆を入れること自体にワクワクドキドキするような場になっていきます。

そういう意味で、僕が今回やったのは、描く人たちのための土壌づくりです。それは、作品を「まとめる」ことではなく、作品の「枠組みを決める」こと、つまり絵の大きさや、制作期限を決めることでした。

オープニングの日や絵の縁に達したら、そこで自然に終わる。その枠組みの中で、僕や参加者がどんな表現を生み出したり、出会ったりするのか。それを楽しみながら制作していきました。

粟島大絵地図の一部

 佐藤:粟島大絵地図は、さまざまな人の想いや、手の癖などが混ざり合って、成立しています。

こうした作品の在り方は、「他者と共に生きていく」ことにもつながっていると思います。

僕たちは、他の存在と一緒にでなければ生きていけません。でも、他の存在と共に生きていくことは、ポジティブなことだけでなく、辛いこともたくさんあります。

だからこそ、他者と共に生きるということの中に、いろんな可能性があった方がいい。

例えば、今回、さまざまな人に、絵地図の海の部分を描いてもらいました。人によって、描き方は大きく違います。

中には、「こんなの海じゃないよ」と感じる部分もあるかもしれません。

でも、そんな時、「なんでこの人は、海をこういう風に描いたんんだろう」「こういう海もありかもしれない」。そんな視点を持てるようになることが大事なんじゃないか。

他人について気に入らないところ、どうしても受け入れられないところはあります。それは、現実では解決するのが難しい。

でも、表現の中では、嫌い合う他者も、一緒の世界の中にいることができる。そしてそれは、よく見たら、まんざら悪いものではないものかもしれない。

そんなふうに、他者との関係性には、いろんな可能性がありうるということではないか。

そうした可能性を示せることが、現実に対する、アートの役割ではないかと思います。

僕自身も、他者との関係の中で本当に追い込まれたら、もちろんどうなるか分かりません。

でも、そうなったときに、「別の可能性がある」と思えるようでありたい。それは、願いのようなものだと思います。

優しい気持ちになれる島

―最後に、粟島に長期滞在する中で感じたことを教えてください。

佐藤:粟島で良いと思ったのは、「恩送り」がしやすい、ということです。

地域に入ると、土地の人から親切にしてもらうことが多くあります。でも、外部から来た人間は、頂いた親切を、なかなか返せる機会がないのが、もどかしくもある。

その点、粟島は観光地でもあるので、関係者だけでなく、観光客も訪れます。

そうすると、僕のような新参者も、自分より後に粟島に来た観光客に“お接待”がしやすい。

島の人たちから頂いた恩を、島の人には返せなくても、外から来た観光客に渡していくことで、恩送りができる。そういう循環があることによって、この島では、皆が誰かに優しくなれるのではないか。そう感じました。

―本日はありがとうございました。

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瀬戸内国際芸術祭2022・秋会期の粟島では、「粟島大絵地図」のほか、佐藤さんの作品として、粟島芸術家村に携わってきた人たちのインタビューをまとめた「粟島芸術家村文庫」も併せて展示しています。

ぜひ粟島を訪れ、佐藤さんの作品を見てみてくださいね!

瀬戸内国際芸術祭・粟島に関する情報は、以下のサイトをご覧ください。

 


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