東京の会社員からなぜUターン?三豊市財田町の石井章弘さん(前編)
2018年に始まった、三豊市の財田町で移住・定住をサポートする取り組み「財TURN(さいたーん)」。その会長を務めているのは、会社員生活を経て財田町にUターンした石井章弘さんです。
今回は、石井さんに、ご自身がUターンした経緯などをお伺いします。
※本記事は2021年6月2日に旧・週刊みとよ ほんまモンRadio!(Seesaaブログ)で紹介した情報を再編集したものです。
財TURNの活動はこちら。
https://note.com/mitoyocity/n/n7a7e0910946f
会社員を経てUターン
石井さんは三豊市財田町出身。東京での仕事を経て、ご自身もUターンを経験されました。
「財TURN(サイターン)」では、現在、どのような活動をされていますか?
石井:3年ほど前、会社員を辞めて、財田町にじっくり腰を据えて暮らし始めたタイミングで『財TURN』が始まりました。
私も、一度東京で暮らしたこともあり、Uターン経験者です。そんな経験を活かせるかなと思ったり、ここ5~6年ほどで財田町に移住して来てくれた人たちにユニークなメンバーが多かったので、一緒に活動することになりました。
ー元々、地域での活動には、積極的に関わっていらしたのですか?
石井:会社員をしていた時は、地域活動なんて、正直面倒だなと思っていました。
でも、今になると、自分が子どものころのスポーツ少年団の活動だったり、地域の人たちが通学路を清掃してくれていたり、そういう大人のサポートのおかげで、安全で楽しい生活が送れていたんだなということがわかります。
なので、必要とされる役割を受けないわけにはいかないなと感じます。
今は、財田町のまちづくり推進隊の部会や、宝山湖の彼岸花を守る会など、地域をサポートする活動に、いくつか関わっています。
ーなるほど!地域の中で必要とされる役回りがたくさんまわってきていそうですね。
財田町での子ども時代
ー石井さんが育った財田町の子どものころのお話をお聞かせください。
石井:実家はミカン農家でした。4haほど、だいたい野球場にして4つ分くらいの面積で、ミカンを育てていました。
小学校は家から4kmくらいありました。すごく遠いので途中まで自転車登校が許されていて、未舗装のデコボコの道を走り集合地点へ向かい、そこからは歩いて通っていました。
昔、財田町はもっと寒かったんですよ! 屋根からつららが下がってましたし、小学校に直径10mくらいの池があるのですが、そこに氷が張って、人が乗っても大丈夫な位、カチカチでしたね! 今は、当時よりも明らかに暖かくなっていますね。
ー財田町は、香川県で・・・いえ、全国ニュースにも出るほど暑い日が取り上げられますが、それも最近のことなんですね。
さて、お仕事で東京にも行かれていたとのことですが、東京での生活、教えてください。
石井:20代の頃、県内の印刷会社に就職しました。入社して1年くらいで、東京の拠点を拡大することになり、そこに転勤になりました。
実は、先に、同じ会社で働いていた高松出身の妻が東京に転勤になりまして、一時、遠距離夫婦だったこともありました。私の転勤から、だいたい10年くらい、東京の郊外に暮らしながら会社勤めをしていました。
東京では暮らしてみたかったので、いい経験でした! 仕事相手のレベルも高かったので、仕事にやりがいもありましたし、遊びに行く場所もたくさんあって、楽しい面もありましたね。
ーそれでも、香川に帰ることを考え始めたのですね?
石井:東京の暮らしが10年になった頃でしょうか。ちょうど2人目の子どもが生まれて、これから東京でもう少し広い家に引っ越すのか・・・なんてことを考えたりもしましたが、ずっとこのままなのか?とも考えてしまって。
香川の自然の中で子育てしてみるのはどうか?と妻に提案してみたところ、田舎暮らしもいいんじゃない!と賛成してくれまして。
会社を辞めて、私の実家である財田町にUターンすることになりました。
ーUターンした後の生活のイメージがあったのですか?
石井:1998年に実家に戻って、5年ほど、実家のミカン農家を継ごうと働きました。
ミカンは、1年の中で、10月~12月の3か月ほどがめちゃくちゃ大変なんですね。でも、ちょうど働き出した頃は、ミカンの価格がとても低いタイミングで、これだけきつい仕事に対する収入をみると、この生活をずっと続けるのは厳しいなと感じました。
それで悩みに悩んだのですが・・・、ミカン農家をやめて、もう一度、会社員生活に戻ることにしました。
今になって思えばですけどね・・・。あのままミカン農家を頑張って続けていたら、篤農家として、一人前のミカン農家になれていたのかななんて思うこともありますけどね。
ー会社員生活に戻られて、どうでしたか?
石井:農家としての作業着から、日々スーツを着るサラリーマンに戻って10年ちょっと、働きました。
田舎での暮らしをと思って財田町に戻ったつもりでしたが、もう1回、思いっきり仕事をしたい気持ちもあったんでしょうね。なので、精一杯働きましたよ。
そして、3人になった子どもが、少し手が離れてきた3年前(子どもの年齢が22歳、20歳、16歳の時)に、退職しました。
ー仕事を辞めることに不安はありませんでしたか?
石井:そうですね。やはり仕事を辞めるときには不安も少しはありました。
でも、どんな生活をしていても、不安がなくなることはないと思うんですよね。
会社員をしていた時は、仕事を完璧にするのが当たり前、ずっと結果や数字に追われる感じがありました。
でも、今は、自分で生きている感じといいますか、今日何をするかとか、楽しそうだなと思う方を選ぶことができているんですね。
確かに、大きな買い物をする時には、ドキッとするときもありますが、何とかなるなと思って過ごせていますね。
ーなるほど!暮らしながら、価値観も少しずつ変わっていったんですね。
次回は、石井さんの現在の生活について伺います♪こちらの様子、山に向かって何を呼んでるんでしょうか・・・!?お楽しみに!
次回の記事はこちら!
https://note.com/mitoyocity/n/nccf2ba625498
財TURNの情報
【お問い合わせ先】
NPO法人まちづくり推進隊財田(事務局)
TEL :0875-67-3790
MAIL:saitatai@mx36.tiki.ne.jp
まちづくり推進隊財田公式HP:https://machidukurisaita.sun-age.or.jp/
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財ターン公式HP:https://ijyu-saiturn.jimdofree.com/